わがままに育てないための子供のしつけ

姉は普段、東京に住んでいるのですが、冬休みになると実家に帰省してきます。

実家では大みそかの夕飯前に福茶を飲む習慣があるのですが、福茶(昆布・梅・お湯)は子供にとってはあまり美味しくないんです。(私も子供のころはそうでしたが、我慢して飲んでいました。)

今年も例に違わず、福茶を飲んだのですが、姉の子供たちが美味しくないと言ってなかなか飲んでくれませんでした。

「健康や無病息災を願って飲むんだよ!」と言ってもダメ。

それでも次男は我慢して飲んでくれましたが、長男の方は頑固で「こんなまずいもの飲めない!」といって夕飯の時間になってもグダグダしていました。

多分、このまま時間が経てば、誰か(祖父母)が助けてくれる(もう飲まなくても良いよと言ってくれる)と思っているのでしょう。

飲めないものを飲めと言っているわけではない(しかも次男は我慢して飲んでいる)のです。

母親との激しい攻防(箸やお茶碗をごみ箱に捨てるなど)がありましたが、結局最後には癇癪を起して怒って福茶を流しに捨ててしまったのです。

普段から母親のいうことを聞かず、宿題や提出物を溜めており、やることもやらずにゲームをやりたがるような性格の長男。

しかし、やることもやらずに嫌なことから逃げているようでは大人になってから苦労するのは目に見えています。

だって大袈裟かもしれませんが、大人になったら自分のことは自分でしなければいけませんし、もちろん嫌なことだってやらなければいけません。嫌なことから逃げる人生は自分の幅を狭くしてしまう気がします。

普段からもこのような感じなので、ここで私達大人がひいてしまってはまた嫌なことから逃げられると思ってしまいます。

なので、姉と話し合って、次の日にゲームをやりたいと言って来たら再度福茶を飲んでもらうことにしました。

次の日になり、ゲームをやりたいと言ってきたので、やりたいなら昨日飲めなかった福茶を飲みなさいと言いました。

そうしたら、素直に飲むといったのです。

多分、昨日の一件を子供ながらに気にしていたのでしょう。

それでも飲み始めたらグダグダしていましたが、最後には全部飲むことができました。

大みそかの小さな出来事ではありますが、このような経験が積み重なって大人になっていくんだなと思うと、一つ一つの出来事に根気強く真剣に子供と向き合っていかなければいけないんだなと実感した出来事でした。

(C)高知の幸せ相談 宗永 高知(むねなが たかとも)