塩職人 田野屋銀象

『土佐市を塩の聖地に』と意気込む、若き塩杜氏の田野屋銀象さんにインタビューしてきました。

塩杜氏 田野屋銀象は、田野屋塩二郎さんの愛弟子で、こだわり抜いた塩杜氏(天日塩作りの職人さん)です。(ご覧の通り、めちゃくちゃイケメンです。)

では、今回はその銀象さんがどのような経緯で、塩作りに入ったのか?
どこで製造をしているのか?
『塩杜氏 田野屋銀象』の塩はどんな味がするのかなどのお話をさせて頂きます。

弟子入りまでの経緯

お名前は小松拓磨(28歳)さんで高知県安芸市出身です。

田野屋塩二郎さんに弟子入りしたのが大学を卒業した2016年です。

高校生の時にアルバイトで塩二郎さんのところで働いていた事があり、そのご縁で大学卒業後に弟子入りとなりました。

アルバイトしたきっかけは銀象さんのお姉さんが塩二郎さんにスカウトされて弟子入りしていたそうで、そのご縁でアルバイトに行かれていたそうです。

 

本当は高校を卒業したらすぐにでも塩杜氏になりたかったそうですが、社会に出た方が良いということで大学に行かれました。

その後、就活を始めた頃くらいから、何がやりたいのかを考えていた時に、楽しかった塩作りを意識するようになり、大学卒業と同時に塩二郎さんに弟子入りしました。

修行中は毎日、塩杜氏として励み、3年間休まず塩作りをされて、晴れて独り立ちされました。

田野屋塩二郎と同様に「ストイック」

師匠の塩二郎さんのインタビュー動画を拝見したのですが、その頃の銀象さんはストイックな仕事をされていて、独立ということがありありと分かったと仰っていました。

師匠さん自身も大変ストイックな方のようですので、ご自身を見るような気持ちでご指導されたのだろうと思います。

素晴らしい師匠の元に素晴らしい弟子が入門したみたいな感じなのでしょう。

気持ちも、考えることも似ていたでしょうから、師匠も弟子も毎日が楽しかったことだろうと思います。

修行や命名披露について

修行と聞くと『大変』というキーワードが浮かびますが、この頃の銀象さんは毎日が楽しかったと回想されていました。

独り立ちしてからの2年間は、現在の工房といいますか塩作りのハウスを作るために活動されたそうです。

その頃は塩杜氏としての活動が出来なかったので一番つらかったと仰っていました。

塩を育てることが好きで好きでたまらないのが伝わってくるエピソードですね。

 

『塩杜氏 田野屋銀象』の命名披露の場所は土佐市宇佐町のヴィラサントリーニです。

3月3日の当日は、前日の曇模様が嘘のような快晴だったそうです。

これまでのひたむきな修行の成果が晴天を引き寄せたのだろうと思います。

そして塩作りのハウスも建ち、いよいよ本格稼働を始める時期に、私達がたまたまお邪魔することになりました。

8月28日突然のアポ無し取材にも快く対応してくださり、親切丁寧にご案内いただき、大変感謝しております。

※【後日談なのですが、いつもは超多忙で見学の対応ができないらしいです。

しかし、私達がお伺いした当日はたまたま絶妙の隙間があったらしく、ご対応が出来たそうです。

銀造さん、押しかけてしまってすみません。読者の皆様は見学をご遠慮頂けますよう私からもお願い申し上げます。

このようなエピソードからも、銀象さんの優しさ、人格の素晴らしさを感じます】

真面目でひたむきな銀象さんとお会いして、こちらも元気を頂いた感じです。

安全な海水を原料に!

『塩杜氏 田野屋銀象』のこだわりは地下の海水を原料にしている点です。

これは世界初の試みらしく、これからの天日塩作りの未来を感じさせる試みだと思います。

世界初の試みが、ここ高知県からスタートするのは何かワクワクしますよね。

一般に、塩を作るためには海水を蒸発させますが、今の海水にはマイクロプラスチックが微量でも含まれています。

しかし、銀象さんは地下水を組み上げた塩水を原料にしているので、マイクロプラスチックがほとんど含まれないと考えられます。

砂地などの自然のろ過器を通過した海水を濃縮して天日塩にするので、マイクロプラスチックの問題はクリアですよね。

将来に渡って安心・安全だろうと思います。

そして、この点が他の海水から作る天日塩との違いです。

世界初の地下水汲み上げ型天日塩は今後有名なブランドになるだろうと思います。

『塩杜氏 田野屋銀象』の工場や製法は?

銀象さんの工場は土佐市新居地区の海岸寄りにあります。

高知の東端の東洋町から海岸線を歩き、塩作りに適した場所を探しているなかで、1番良いと感じた仁淀川近辺で地元の方から紹介していただいた場所が偶然海水井戸がある場所だったそうです。

最初から海水井戸を探していたわけではないのに、一番いいものを引き寄せるのは、いつも全力であたってあるからでしょう。

極める方は本当に違いますよね。少しは見習わないといけない気持ちになります。

 

銀象さんの製法である完全天日塩は日本では10件~15件くらいあるそうですが、その殆どが高知県で作られているそうです。

私の中に高知県のイメージは太陽がいっぱいというのがありますが、このようなデータを見ても高知県は太陽がいっぱいなのだなと改めて思いました。

 

銀象さんの師匠の田野屋塩二郎さん、そのまたお師匠さんは高知県の黒潮町で最初に天日塩を作るようになったそうです。

お名前は吉田猛さんと言いますが、鬼籍に入られています。

平成9年以降から作り方は変わっていないそうです。採鹹(さいかん)ハウスの中で乾燥して作るという製法です。

師匠も高知に日本一の塩作りの名人がいるという噂で東京から家財道具を投げ売って引っ越してこられたみたいです。

 

木箱で濃縮する前に海水を濃縮するハウスで塩分濃度を上げます。

銀象さんの場合は地下水を汲み上げて使っていますが、海水よりも塩分濃度が薄いらしく、だいたい2~3%くらいなので4%くらいまで濃縮します。

仁淀川の河口が近くにあるので、その影響で少し薄いのかもしれません。

ただ、それによって山のミネラルを含む海水が地下に染み込んでくるので、複雑な味を作るには最高の材料ではないでしょうか。

師匠も田野町にされた理由の一つに近くに川が流れていて、その川からの山のミネラルのことを仰っていました。

師匠の教え通りに実践されてあるんですね。

この写真は採鹹(さいかん)ハウスです。

完全天日塩を製造しているほとんどの業者さんはココ(↑)で10%以上まで上げてあるそうです。

生産性を考えるとその方が効率がいいですからね。結晶ができるギリギリまで濃縮してしまえば、木の箱に移した時にすぐに塩の結晶ができます。

しかし、銀象さん、師匠さんはこの濃縮は4%くらいに抑えてあります。

それは木の箱(↓の写真)で濃縮させた方が、ミネラルを調整して味を整えたり、結晶の大きさを調整したりできるからです。

上の採鹹(さいかん)ハウスで濃縮すると効率が良くなる反面、すぐに結晶ができるのでクライアントに応じたオーダーメードが難しいそうです。

そして何よりも銀象さんが塩を文字通り『手塩にかけ』て育てることが出来ないから採鹹ハウスではあまり濃縮しないということでした。

どれだけ、塩のことが好きなんだ?とツッコミを入れたくなりますよね。

それだけ、本当に塩のことが好きで、育てる喜びを味合われているからでしょうね。

 

『手塩にかける』という意味をちょっと調べてみました。

由来は「江戸時代の塩の使い方」だそうです。こちらから から確認できます。

しかし、実際の塩作りを動画で拝見すると木の箱に入った塩水と一部が結晶化している塩の塊を師匠や銀象さんが手で混ぜている情景は『手塩にかける』情景とマッチします。私は「江戸時代の塩の使い方」という説には異論を唱えたいですね。

こちらが師匠が結晶化した海水を混ぜている様子です。

心を込めてじっくりと手触りや匂いを確認しながら混ぜてあります。

これが『手塩にかけて』育てていることだろうと個人的には思います。

 

師匠も銀象さんもオーダーメードの塩を作るので、いろいろな調整がしやすい木の箱の方がやりやすいそうです。

この写真を見ると、木の枠にビニールが被せてあって、その中に海水が入っているのが分かると思います。

このビニールは特殊なビニールで出来ています。このビニールの中で、太陽の熱で少しずつ塩の結晶が成長していきます。

この箱は1つのハウスに七十数個あります。ハウスが二棟有るので150箱以上あります。

塩屋さんによって手法が違いますが、やることはどの塩屋さんも一緒だそうです。

それは3つあり、1つは木箱の海水を混ぜること、2つ目は新たに海水を注ぎ足すこと、3つ目は気温&湿度の調整です。

自然の力を借りているので、温度だったり、湿度だったり、
日射量だったりと毎日が違うので、杓子定規的な作業ができないデリケートな工程のようです。

混ぜる時には専用のヘラで混ぜるそうです。

世の中で一番過酷な仕事場!

師匠は塩職人の仕事場を『世の中で一番過酷な仕事場』と言われていました。

真夏の一番きついときは70度くらいまで上がるそうです。想像しただけで震えますよね。

そのような過酷は環境で、毎日手塩にかけて混ぜて、育てていかれる。

そのハウスの中で1時間に1回は海水を専用のヘラで混ぜる作業があるらしく、場合によっては2時間に1回混ぜます。

木箱の数は150箱以上も有るので、1時間毎と言っても、ずっと70度のハウスの中で活動されてあると思うと本当に過酷な環境だなとつくづく思います。

しかし、それでも塩と会話を楽しみながら、混ぜてあるのでしょうね。

『愛はすべての困難を乗り越える』とどこかで読んだ気がしますが、そのとおりだと銀象さんを見ていると思います。

 

師匠は手塩にかけて育てたお塩をご自身の『娘』と言われていました。

単なる娘でなく、『箱入り娘』ですよね。

混ぜ方は人によってばらばらで、こだわりがあるそうです。

たくさんの木の箱がありますから、それを1つ1つかき混ぜながら、
長時間ハウスで過ごすのですから日頃の体調管理が大変だと言われていました。

海水をつぎ足しつぎ足ししながら、木箱の塩分濃度を上げていきます。

『塩杜氏 田野屋銀象』の塩を育てる期間は最低でも2ヶ月位かかりますが、オーダーメードの場合は1年以上かかる場合もあるそうです。

下の方に写真を掲載している塩は「3ヶ月間育てた」と仰っていました。

この期間も夏場と冬場によって変わってきます。

自然相手の仕事なのでマニュアルが効かず、塩は生き物という認識なので、最低でも2ヶ月以上育てているという感じのようです。

気温と湿度を調整することでゆっくりと塩の成長を見守ることが出来ます。

銀象さんはゆっくりと『個性を持った塩』に育てていくやり方なので、温度と湿度の管理に神経を使っているということでした。

実際に使ってみた結果!

こうして作ったお塩を使って、焼いたお肉を味付けしてみました。

カリッと焼いた豚肉ににんにくとコショーを振って、最後に肉用の塩を使って味付けしました。

真ん中付近に白い小さな塊があると思いますが、それが銀象さんの塩です。

肉用の塩? と思われたでしょう。

実は銀象さんのお塩はいろいろな種類がありまして、肉用、魚用、一般用というのがあります。

もちろんオーダーしたらもっと色々な塩が作れるらしいのですが、一般に販売されているのは、主にこの3つです。

そのうちの肉用を使ったわけです。

以下に、銀象さんのをアップします。

商品名は以下のとおりです。

GinzoSalt Standard : 高知の野菜、特に生の野菜の味を引き立てることをイメージして作った商品

GinzoSalt Fish : かつおのたたきや焼き魚の味と香ばしい香りをもっとも引き立てることをイメージして作った商品

GinzoSalt Meat : 油や肉汁のあるお肉を噛み締めながら、最後までゆっくりと溶ける結晶の形状・大きさに作った商品

それぞれ大きさも溶けるスピードも違いますし、味も微妙に違います。

肉を噛み締めている時に、だんだんお塩が溶けてしまいますが、粒を大きくすることで溶けるスピードを調整しているそうです。

これ以外にもたくさんオーダーメードで作られるみたいです。

以下は銀象さんのサイトで販売されている商品です。