高知の代表的観光地の桂浜。誰もの目当ては太平洋を見つめる坂本龍馬の銅像だ。

故入交好保氏が早大在学中の大正15 年夏、土居、朝田、信清氏の3人と坂本龍馬の幕末の活躍に感動し、銅像建立を考え、今の地を選んだ。 龍馬像の除幕式は昭和3年5月27日だった。

資金集めは高知の財閥、野村組の野村茂久馬に相談し、県内の無料バス券をもらったことから始った。ついで明治維新の元勲の一人、田中光顕を動かした。

海軍の大御所、永野修身(高知出身)は帝国海軍の「創始者」に敬意を表すため、当日、桂浜沖に艦艇を浮かべたほどの大行事だった。

司馬遼太郎が「竜馬が行く」を執筆するにあたり、この銅像を見に来た。世界にあまたある銅像の中で、これほどその人格にぴったりの空間はないと感動した話が伝わっている。

「竜馬が行く」がなければ、坂本龍馬の業績は歴史に埋没していたかもしれない。

その銅像を桂浜の高台に建てようと考えた入交好保氏がなければ、「竜馬が行く」もなかったかもしれない。

そう考えると入交氏が青年時代に起こした行動はもっともっと評価されていいのだろうと思っている。

以下は、龍馬銅像還暦祝いに司馬遼太郎が寄せた文章の一部である。

あなたは、この場所を気に入っておられるようですね。私はここが大好きです。世界中で、あなたが立つ場所はここしかないのではないかと、私はここに来るたびに思うのです。
あなたもご存知のように、銅像という芸術様式は、ヨーロッパで興って完成しました。銅像の出来具合以上に銅像がおかれる空間が大切なのです。
その点、日本の銅像はほとんどが、所を得ていないのです。
昭和初年、あなたの後輩たちは、あなたを誘って、この桂浜の巌頭に案内して来ました。
この地が、空間として美しいだけでなく、風景そのものがあなたの精神をことごとく象徴しています。
大きく弓なりに白線を描く桂浜の砂は、あなたの清らかさをあらわしています。この岬は、地球の骨でできあがっているのですが、あなたの動かざる志をあら わしています。
さらに絶えまなく岸うつ波の音は、すぐれた音楽のように律動的だったあなたの精神の調べを物語るかのようです。
そしてよく言われるように、大きく開かれた水平線は、あなたの限りない大きさを、私どもに教えてくれているのです。
「遠くを見よ」
あなたの生涯は、無言に、私どもに、そのことを教えてくれました。いまもそのことを諭すように、あなたは渺茫たる水のかなたと、雲の色をながめているのです。
あなたをここで仰ぐとき、志半ばで斃れたあなたを、無限に悲しみます。

伴 武澄