なぜ坂本龍馬は京都土佐藩近くの近江屋で暗殺されたのか、ズバリ土佐藩の正規社員でなかったから高知市生まれの小説家宮地佐一郎氏いわく270年の身分制度の確執により下士(非正規社員)である龍馬は邸内に居られなかったのである。

フリーター時代薩長盟約をまとめ土佐藩の参政(重役)後藤象二郎にスカウトされ長崎土佐商会所属の海援隊隊長となる。

その後「いろは丸」事件での多額の賠償金獲得、大政奉還のおぜん立てと土佐藩のため日本国のため多大なる功績をしたにもかかわらず。

1867年12月に龍馬は暗殺された。

明治42年龍馬を斬ったであろう京都見回り組今井信郎は「龍馬を斬ったのは暗殺ではなく幕府の命令による職務であった」という証言がある。

つまり土佐藩の後ろ盾のない非正規社員でありまだお尋ね者であったということです。

井倉 俊一郎